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東京地方裁判所 昭和61年(ワ)10732号 判決 1987年3月27日

原告

浅野耕路

右訴訟代理人弁護士

関智文

被告

株式会社安部一級土木施工監理事務所

右代表者代表取締役

安部義雄

右訴訟代理人弁護士

中村雅人

中村順子

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

1  被告は、原告に対し、金一七〇万九四四〇円及びこれに対する昭和六一年九月五日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決及び仮執行の宣言を求める。

二  被告

主文と同旨の判決を求める。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は、東京人材銀行の紹介により、昭和五九年五月一七日、ビル建築のための地質調査等を業務とする被告会社に就職し、同六一年七月七日同社を退職した。

2  原告が被告会社に就職する際、当事者間で合意された賃金条件は次のとおりであった。

(1) 賃金 月給制

(2) 基本給 二〇万円

(3) 役職手当、職務・住宅その他手当 六万円

(4) 賞与 年に基本給の四ケ月分

(5) 昇給 年六パーセント

右賃金についての約定は、被告会社が東京人材銀行へ提出した求人カードに記載されたとおり合意されたものであり、ただ、求人カード記載の賃金額については支給総額が二二万五〇〇〇円ないし二八万五〇〇〇円と記載されており幅があったため、原告と被告会社代表者との面談により二六万円と合意されたが、賞与及び昇給については求人カードに右のように記載されていたので、そのとおり合意されたのである。

3  実際に支給された賃金は、基本給は月二〇万円、諸手当月六万円と合意されたとおりであったが、賞与は在職した二年二か月の間、基本給の八か月分合計一六〇万円(内訳五九年年末の賞与二か月分、六〇年七月の二か月分、同年年末の二か月分、六一年七月の二か月分、合計八か月分)が支給されるべきところ昭和五九年一二月に一八万円しか支給されず金一四二万円が支払われなかった。

また、昇給は一度もされず、在職二年目の昇給分合計一四万四〇〇〇円(基本給二〇万円の六パーセント一万二〇〇〇円の一二か月分)及び在職三年目の昇給分合計二万五四四〇円(基本給二一万二〇〇〇円の六パーセント一万二七二〇円の二か月分)が支払われなかった。

さらに、被告は昭和六一年三月分から同年六月分までの給料につき一か月三万円あて合計一二万円を一方的にカットして支払わなかった。

以上のとおり、原告は被告に対し未払給与として合計一七〇万九四四〇円の債権を有する。

4  よって、原告は被告に対し、右未払給与合計一七〇万九四四〇円及びこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日である昭和六一年九月五日から完済にいたるまでの民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する答弁

第一項の事実は認める。

第二項の事実は否認する。原告の賃金額については原告と被告会社代表者との話合いで年俸三一二万円とし、これを一二等分して毎月支払うことを合意した。賞与や昇給については合意はされていない。

第三項のうち、被告会社が原告主張の額の賃金を支払ったことは認めるが、その余の事実は否認する。昭和五九年一二月に支払った一八万円は賞与ではなく、来年こそは固定客の新規開拓をしてほしいとの願いをこめた奨励金である。

また、昭和六一年三月からは原告及び被告会社代表者が合意のうえ賃金を月三万円減額することとしたものである。

原告は、在職中も退職に際しても、賞与の支払の請求や昇給分の支払の請求をしたことは全くない。

第三証拠

記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因第一項の事実は当事者間に争いがない。

二  成立に争いのない甲第一号証、第四号証の一から三まで、「学歴・職歴」欄の下三行以外の部分の成立に争いがなく、被告代表者尋問の結果により「学歴・職歴」欄の下三行の部分は被告代表者が記入したものと認められる乙第一号証に、原告本人(ただし、後記信用することのできない部分を除く。)及び被告代表者の各尋問の結果を総合すれば、次の事実を認めることができ、この認定に反する原告本人尋問の結果の一部は信用することができず、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。

1  被告会社は、従業員数人の小企業であるが、営業総括責任者を求めて、昭和五九年三月、東京人材銀行に求人カードを提出した。右求人カードの賃金の欄には、「賃金 月給制、基本給 一八万円~二〇万円、役職手当二万五〇〇〇円、職務・住宅その他手当 二万円~六万円、支給総額 二二万五〇〇〇円~二八万五〇〇〇円、手取額、一八万円~二五万円、賞与 年四か月分(基本給の)、昇給 年六パーセント、退職金 無」との記載があった。

2  原告は、右求人カードをみて被告会社に就職することを希望し、東京人材銀行の紹介で同年四月一九日被告会社代表者と面接し、賃金については、双方の希望意見を交換した結果、月額二六万円、年額三一二万円とすることで合意し、雇用契約を締結した。その際、賞与や昇給については、特段の話合いはされなかった。

3  原告は、同年五月から勤務を始め、以後昭和六一年二月分までは毎月税金や社会保険料を含めて二六万円の賃金の支給を受けていたが、昭和六〇年四月以降も昇給の要求をしたこともなく、毎月の賃金を異議なく受領していた。また、原告は、昭和五九年一二月に一八万円の支給を受けたほかは、在職中に賞与の支払を受けたことはないが、これに対しても賞与の支給を請求したことはなかった。

4  原告は、営業部長として、営業全般、特に新規得意先の開拓を任務としたが、在職中に新規得意先の開拓に成功したことはなかった。

以上の事実によれば、原告と被告会社との間の雇用契約の締結に際しては、賞与や昇給についての明示の合意はされなかったことは明らかであるが、被告会社が東京人材銀行に提出した求人カードには「賞与 年四か月分(基本給の)、昇給 年六パーセント」と記載されており、これをどのように評価すべきかが問題である。右求人カードの記載は、職業安定法一八条の規定する労働条件明示義務に従って記載されたものであるところ、求人カードの果たす機能に照らすと、ここに明示された労働条件は、一般的には、これと異なる明示又は黙示の合意のないかぎり、労働契約の内容となるとするのが契約当事者の意思に合致するものと解するのが相当である。ただし、賞与や昇給については、事業の業績や物価の動向等の経済情勢の変動等の未確定要素に大きく左右されるものであることは明らかであるから、求人カードに記載された条件を労働契約の内容とすることが直ちに契約当事者の意思に合致するものともいえず、労働契約締結前後の事情をも考慮してこれを決するのが相当である。そして、被告会社は従業員数人の小企業であること、労働契約の締結に際しては賃金について双方の希望意見を交換しているが、賞与や昇給については何らの意見交換もされていないこと、その後の一般的な賞与の支払時期や昇給時期においても原告は何らその支払や昇給の請求をしたことは全く無く、支給された賃金を異議なく受領していることからすれば、求人カード記載の賞与や昇給は一応の見込みにすぎず、これがそのまま労働契約の内容となったものではないと解するのが相当である。

三  次に、成立に争いのない甲第四号証の一から三まで、原告本人(ただし、後記信用することのできない部分を除く。)及び被告代表者の各尋問の結果を総合すれば、被告会社は業績が不振であり、かつ、原告の新規の得意先開拓もできないところから、被告会社代表者は昭和六一年三月分から毎月三万円あて原告の賃金を減額することとし、原告もやむを得ずこれを承諾したことが認められ、この認定に反する原告本人尋問の結果は信用することができず、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。

四  よって、原告の請求はすべて理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 今井功)

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